「ねえ、日本の競馬ってさ、血統でほぼ説明できるって本当?」
深夜の競馬バー。モニターでは過去のG1がエンドレスで流れ、カウンターの上には溶けかけの氷。ぼくは、ずっと気になっていた疑問をそのまま口にした。
向かいに座る血統オタクの先輩は、グラスを指先で回しながら答える。
「日本競馬はね、たった3つの血でほとんど動いてるんだよ。サンデーサイレンス、ミスタープロスペクター、ノーザンダンサー。この“3大エンジン”さえ押さえれば、今走ってる強い馬のキャラはだいたい読める」
第1章:サンデーサイレンス──日本が手に入れた瞬発力
サンデーサイレンスはアメリカ生まれ。でも本当の黄金時代は日本で開いた。
彼が伝えたのは瞬発力・末脚のキレ・勝負根性。直線の入り口で一気にギアが上がる、あの「もう一段ある脚」を量産した。
「サンデーサイレンスが来てから、日本の“強い馬の型”そのものが変わったんだよ」と先輩は言う。
ディープインパクト、ステイゴールド、ハーツクライ、ダイワメジャー……。息子たちは種牡馬として成功し、そのまた子・孫の世代までG1ホースが続々と生まれた。
いまでは、サンデーサイレンスの血が全く入っていない馬を探すほうが難しいほど。
むしろ繁殖牝馬のほうがサンデーだらけになってきて、「サンデーと血が近すぎない相手」を探す時代になっている。
サンデーサイレンスは、ただの名種牡馬じゃない。
“日本型の決め手”という概念そのものを定義した血だ。
第2章:ミスタープロスペクター──止まらないスピード
「でもさ」とぼくは聞く。「ミスタープロスペクターって、アメリカのダートってイメージなんだけど、日本の芝でもそんなに大事なの?」
先輩は少し笑って、指でテーブルにラインを引いた。
「むしろ今の日本のG1の“押し切る強さ”は、だいぶミスタープロスペクターから来てる」
ミスタープロスペクター系は、もともとダート短〜中距離の爆発的なスピードとパワーで評価された父系。
その血はキングマンボなどを経由して芝でも通用するようになり、日本に入ってきた。
そこからキングカメハメハが生まれ、さらにロードカナロア、ドゥラメンテ、レイデオロ…といったラインに繋がって、芝のG1からダートのトップレベルまで主役として走る存在になっていった。
この血の強みは、長い距離でスピードを落とさない持続力だ。
「残り600mから押し上げて、そこから止まらず押し切る」みたいなロングスパート型の勝ち方は、この系統の真骨頂。
「サンデーサイレンスの血は“瞬間最大風速”。ミスタープロスペクターの血は“高速巡航のまま最後まで落ちないエンジン”」
そう言われると、どっちも速いけど速さの性格が違うってことがスッと入ってくる。
そして先輩はもうひとつ指摘する。
「キングカメハメハ系ってサンデーサイレンスと血が近くないから、サンデー系の繁殖牝馬と組ませやすいんだよ。これは日本の配合にとって、めちゃくちゃ都合がいい。」
第3章:ノーザンダンサー──芝の完成度という武器
ぼくは続けて聞く。「じゃあノーザンダンサーは?」
「ノーザンダンサーは、芝のクラシックを世界中で制圧した血だよ」と先輩は言う。
ノーザンダンサー系は、コンパクトでバランスが良い体、反応の良さ、コーナーで動ける器用さを伝えることで知られる。
ダンジグ系、サドラーズウェルズ系、ストームキャット系など、派生ラインのどれをとっても一流。その子孫たちはヨーロッパ、アメリカ、日本、オーストラリア……と、芝1600〜2400mの“ちゃんと強い馬”を量産してきた。
日本でもノーザンダンサーの血は「サンデーサイレンスの瞬発力に、器用さと前向きさを足す」スパイスとして長く重宝されてきた。
先輩は指を3本立てる。
「ここまでで、サンデーサイレンス、ミスタープロスペクター、ノーザンダンサー。これが今の日本を動かしてる3大エンジン。だけどね──」
第4章:影で支えてきた“もうひとつの主役たち”
先輩は、さらに指を折っていく。
1. ヘイルトゥリーズン系〜ロベルト系:タフさの系譜は今も現役
ヘイルトゥリーズン(Hail to Reason)から続く流れ、特にロベルト(Roberto)系は、日本の競馬に「しぶとさ」「簡単に止まらない粘り」を持ち込んだ血だ。
ここが面白いのは、これは昔話ではなく今も主流に関わっているということ。
「ロベルト系って、日本だとシンボリクリスエスからエピファネイアに繋がるイメージでしょ?」と先輩が言う。
シンボリクリスエスのような、パワーと持続力で押し切る大型馬のイメージ。
そこから生まれたエピファネイアは、クラシック級の総合力と底力を伝える種牡馬として評価されていて、一撃の決め手だけじゃなく、タフな我慢勝負にも強いタイプを出してくる。
つまりロベルト系は「しぶとい」「負けない」「止まらない」というキャラクターを、今もそのまま中央の大舞台に届けている血なんだ。
先輩は言う。
「サンデーサイレンスが“瞬発力の日本”を作ったなら、ロベルト系は“タフさの日本”を生き残らせてるって感じ。こっちはラストで根性でもぎ取るタイプだよね」
2. ナスルーラ系:日本のスピード文化の下地
ナスルーラ(Nasrullah)は、戦後ずっと日本が輸入してきた“スピードの名家”。
ボールドルーラー系などを通じて、「そもそも日本の馬って速いよね」を成立させた基礎工事のような存在だ。
いまはサンデーサイレンスやミスタープロスペクターが表に出ているけれど、その手前にはこの“ナスルーラ的な速さ”の土台がずっとある。歴史の地盤みたいな血統だ。
3. トニービン系:底力とスタミナの輸入装置
トニービン(Tony Bin)はヨーロッパのスタミナ血統から来た名種牡馬で、日本に底力・長距離耐性・ロングスパートの我慢を持ち込んだ存在だ。
サンデーサイレンス系とトニービン系を組み合わせることで、「切れるのにバテない」「瞬発+底力」という欲張りなタイプを狙える。
長い距離や厳しい流れで最後にもう一押しできるのは、だいたいこういう血が効いている。
4. アメリカ直輸入の“ダート・マイル型スピード”
最後に先輩はこう付け加えた。
「ダートでは、日本で育った血だけじゃなくて、アメリカの“マイル前後でとにかく速い”血統が、そのまま父として人気になるケースもずっと続いてるんだよ」
いわゆる「地方〜中央のダート重賞で安定して稼げる産駒を出す父」。
これは牧場にとっては生活の柱でもある。スピードが早熟でわかりやすい=結果が出やすい=需要が落ちにくい。
第5章:血統は“どんな勝ち方ができるか”を見る地図
店を出るころ、ぼくはレースの見え方が少し変わっていた。
これからパドックを見るとき、きっとこう考える。
「この馬はサンデーサイレンス系っぽい瞬発タイプかな?」
「それともミスタープロスペクター系みたいに、4角からスピードを落とさず押し切る巡航型?」
「ノーザンダンサー系の器用さがあるなら、小回りやコーナー勝負にも向きそうだな」
「ロベルト系の血を持ってるなら、最後は根性勝負でまだ止まらないはずだ」
血統はロマンの話でもあるけど、同時に“この馬はどんな形で勝つつもりなのか”という設計図でもある。
サンデーサイレンス、ミスタープロスペクター、ノーザンダンサーという3大エンジン。
そこにロベルト系が受け持つタフさ、ナスルーラ系が築いてきたスピードの土台、トニービン系が持ち込んだ底力、そしてダートを支えるアメリカの即戦力スピード。
「血を知る」っていうのは、ただ血統表を眺めることじゃない。
その馬の体の中に、もうすでに“勝ち方のストーリー”が書き込まれているってことなんだ。
次にあなたが応援する馬。その父と、その父の父を、ちょっとだけ調べてみてほしい。
きっとそこには、これから見届けるレースの予告編が、もう用意されている。
応援クリックお願いします!


コメント